英語学校での思い出もほとんど書いたので次に進もうと思う。
8月の半ば頃、ついに英語学校は閉校となった。まったくの偶然だったけど、僕はこの英語学校の最後の生徒になったのだ。
閉校時まで残っていた生徒はわずか数人だった。
英語学校は生徒と先生、食事スタッフ、それにボランティアからなっていた。
生徒は7月を境にがくんと減り、英語学校が終わりに近づくにしたがってさらに一人、また一人と減っていった。僕はこのあたり毎日がとても寂しかった。
幸いにして僕と同じ家にステイしていたスイス人のC君は僕と同じく最後まで英語学校にいたので完全に一人になる事はなかった。
そしてもう一人、6月にいたスイス人の女性Sさんは、6月末にいったんいなくなったものの、8月にまた帰ってきた。
このスイス人2人と僕で、英語学校が終わったら2週間かけてスコットランドを旅行する約束をした。
僕が敬愛してやまないエレイン先生も最後までいた。先生は20年以上前の時点でかなり年老いていた。今でもお元気でいるといいなと真摯に思う。
英語学校の寮として使われていた家、通称レッドコットは売りに出されることが決まった。僕はこの寮に最後の数日間だけ泊った。ホームステイ先の契約終了が僕の出発日より早かったからだ。
レッドコットにはボランティアスタッフもいた。ボランティアはだいたい本業は学生で、ドイツやチェコなどいろいろな場所から来ていた。彼らと過ごした日々も楽しかったし、英語学校の後も付き合いが続いた人もいた。
彼らも僕よりも早く帰ってしまった。
8月の天気の良い、さわやかな日。英語学校は閉じた。
C君はスイスからウェールズまで車で来ていた。僕とSさんは彼の運転でスコットランドを回ることにした。
日本の家族から送ってもらった段ボール箱には日本食がまだたくさん残っていた。そこにはかつて英語学校にいた韓国人からもらったそうめんなどの食料も入れていた。
この箱が旅の助けになるだろう。
午後、英語学校を去った。
旅行は楽しみだったけど、その後の大学生活のことを考えて僕は少し憂鬱な気分だった。
車窓から街の風景を見る。かつて一緒に歩き回った友人たちはもういない。
ウェールズの、日本人は誰も知らないような小さな街。ローカルな行楽地で、治安もあまりよくなく、海沿いに並ぶ土産物屋では大人のオモチャを大量に売っているようなぶっちゃけた街だった。
この街を離れるのが寂しくてたまらない。
英語学校は大学院留学の前フリ、準備期間にすぎなかった。
なのに今の僕にとってあの頃の生活、あの場所が一番懐かしく、いとおしく感じる。