ロンドンにいたころ、何度か押し売りにあった。
その押し売りの話はルームメイトから聞いていた。ルームメイトのS君が道を歩いていると、誰かに呼び止められたという。
その人物は車の中からS君を呼び、服を売りつけてきたんだそうだ。
おしゃれ好きなS君はその服を買いそうになったという。でも高額なので結局買わなかったそうだ。
「高級な服だから火にかけても燃えないんだ。欲しかった」とS君は残念そうに言っていた。
僕はそれを聞いて「まさか」と信じなかった。
そして数か月後。僕はS君と同じ経験をしたのだ。
夕方、サウスケンジントンの美しいストリートを歩いていた時、つたない英語で呼び止められる。振り向くと車の中からラテン系の男性がこちらを呼んでいる。
「道にでも迷ったのかな?」と思いながら近づくと、男性は「服を買わないか?」と言ってきた。
ピンときた。この男があのS君の言っていた売人か。彼はこの辺りをなわばりにしているんだろう。
「私はミラノから来たファッションコーディネーターだ。ロンドンで開催されたファッションショーに出たんだけど、服をイタリアに持って帰ると税金がかかるので、ロンドンでそれらを売って身軽になって帰りたいんだ」
男は高級そうなスーツを取り出して「50ポンドでどうだ?」と言った。
もし本当のミラノ仕立てなら、50ポンドは破格に安い。けれど僕はファッションに興味がなかった。その時も、洗いすぎて色の薄くなったペラペラのユニクロの服を着ていた。この売人、ターゲットはちゃんと選んだ方がいい。僕の格好を見て無駄だと分からないのか?アジア人だから騙しやすいと思ったのか?
僕はスーツを見ながら渋っていた。
すると売人はライターを取り出し、そのスーツを火であぶり始めた。
「見ろ、高級品だから燃やしても燃えないんだ」と売人は得意そうに言う。
うわー、S君の言った通りだ。僕はそれを実際に見ることができて感動した。
トリックを暴こうとじーっと見つめていたけど、確かに服は燃えていなかった。どういう仕組みなんだろう。今でも分からない。
「これで50ポンドは安いぞ」と売人は言うけど、僕は服に1ポンドすら使いたくない性格なのだ。「いらない。着ないし」と何度も断った。そのたびに火であぶる売人。いっそ燃え始めるまで付き合おうかと思い始めたとき、売人は急に冷めた表情になり、「分かった」と言ってどこかへ行ってしまった。
ロンドンは国際的な街なので、いろんな商人がいるなと感心した。