イギリス留学の思い出

20年以上前に経験したイギリス留学の思い出を取りとめもなく書く

ビクトリア時代の小学校を体験する

英語学校にいたときの毎週の遠足ではいろいろなところに行った。今回は前回の続き。

ちなみに現地までは毎回バスで連れて行ってくれるのでらくちんだった。

 

19世紀のイギリス小学校体験

どこか忘れたけど、北ウェールズの小さな村。川が流れ、緑豊かできれいな村だった。そこにはビクトリア時代の子供の授業の経験ができる小さな石造りの家があった。本来は子供たちのためのアトラクションなんだろうけど、大人もそれを体験できた。

僕らは19世紀の子供の格好をさせられる。男はチョッキとハンチング帽、女は白いエプロンと白いモブキャップでコスプレをする。

 

この写真は違う場所だけど、だいたいこんな感じ。

ドイツ人やスイス人の若い女の子はその恰好がものすごくよく似合った。年配のひょろ高いおじさんはチョッキとハンチング帽を身に着けると僕がイメージしていたイギリスの労働階級市民そのものだった。このころは英語学校の生徒がほぼヨーロッパ人になっていたので、雰囲気は満点だった。むしろ僕が場違い感が半端なかったけど。

 

彼らの姿があまりにもよく似合うので、僕はビクトリア時代にタイムスリップしたような気分になってとても興奮した。

ところが、なぜか皆が僕に向かって「お前の格好がすごく似合う」とか言い出し、僕はバチバチ写真を撮られてしまう。それっておかしくないか?と僕は妙な気分になった。僕は生粋の日本人で、ビクトリア時代の子供に見えるはずがない。

 

教室にはみんなで並んで無言で入る。教室は薄暗く狭かった。何より机が小さかった。机は少し手前に傾いた奥行きのあまりない長テーブルで、椅子は長いベンチだった。僕らは並んで机といすの間に入り込み、静かに座る。教室の前にはチャーチルみたいなムスッとした初老の先生が立っていた。ドイツ人のひょろ高おじさんは足が長すぎて座るのに苦労し、先生に「何をしているんだ」と怒られていた。

 

授業前に先生はいくつか注意をする。

  • 私語厳禁。
  • 左手を机の上に置け。これは悪魔が宿る手だから絶対使うな。
  • 発言の後には必ずサーをつけろ。

そして先生は地理、算数、化学、国語の授業を始めた。

 

地理では大英帝国がいかに広大で素晴らしいかを生徒に聞かせる。「これはどこだ?」と生徒に質問し、誰も手を上げないと「こんなことも分からないのか?それでも大英帝国の子か?」と怒る。雰囲気は抜群だった。

 

算数では、通貨の数え方を習う。先生が「我が帝国の通貨単位は何だ?」と質問すると、ひょろ高おじさんが手を上げて自信たっぷりに「ドルです、サー」と言ったので僕はまじかよと思わず吹き出してしまった。「ドルだと!?」と目を丸くする先生。僕らが笑うと先生は「笑うんじゃない!」と怒った。ひょろ高おじさんの回答ががボケだったのかガチだったのかはよく分からない。

 

化学では先生は黒い石を取り出し「これが我が帝国の原動力だ」という。「これは何だ?」と聞いた。ぼくはひょろ高おじさんに触発されて答えてみる気になり、手を上げた。先生の厳しい顔が一瞬素に戻り、教鞭で僕を指す。「ちゃんと答えられるかな?」と心配そうな表情だった。僕は「この人ほんとはいい人なんだろうな」と思いながら、「石炭です、サー」と答えた。先生は「その通りだ!」と嬉しそうに言った。

 

国語ではそれぞれの生徒が机の中からタブレットサイズの黒板とチョークを出す。教室の前にある小さな黒板にあらかじめ書かれていた英語を自分の黒板に書くという授業だった。僕らが書きとる間、先生はその文についていろいろ解説をしていたけど僕は英語があまりできなかったので何を言っているのか分からなかった。

 

ほどなく書き取りが終わると、すごく恐ろしかった先生が「では今日の授業はこれで…終わり!」といきなり笑顔になり、僕らは先生に向かって拍手喝采した。

全部で30分ぐらいの体験。ほんとうにおもしろい体験だった。

 

学校の古い建物の外の売店でウロウロしていると、さっき先生をしていたおじさんが出てきた。すっかり現代人の格好の普通のおじさんになっていて、ひょろ高ドイツ人やそのほか数人の人と談笑をしていた。おじさんは引退後にこの仕事をボランティアで始めたという。それを聞いて僕の心はほっこりした。