イギリス留学の思い出

20年以上前に経験したイギリス留学の思い出を取りとめもなく書く

修士論文で四苦八苦する

日本の大学院在籍時の話の続き。

当時、僕はいわゆる「旧帝大」と呼ばれる大学の修士課程にいた。2年生の年末が近づいてくると、同期の連中も修士論文の準備で大忙しになる。

僕には修士論文に載せるべきデータがなかった。

仕方がないので大急ぎで実験をしてデータを集めた。もう12月になっていた。

 

大学院2年の秋ごろから、僕の口癖は「卒業できないかもしれない」になっていた。同じラボにいる博士課程の先輩にもよく「留年するかも」と不安をこぼしていた。

もし卒業できないなんてことになったら、留学の計画はすべてパーだ。それは非常に困るのだ。

先輩は「修士なんて何か書いて出せばよっぽど落ちることないだろ」と笑っていた。

でも、僕は「書けるべき何か」を持っていなかった。

 

大急ぎで実験計画を立てた。僕はこのころになってようやく「研究」と言えるべきものを始めたのだ。

正直時間が足りないので実験をたくさんしたところで十分なデータが得られるとは思えない。でも、今回ばかりは真剣だった。

やってみると、結構興味深い実験だった。「もうちょっと突き詰めれば結構面白いんじゃないか?」と思った。大学院2年も終わりになって初めて研究に興味がわき始めたのだ。

でも、もう遅い。

 

11月から12月にかけてすこしばかりのデータを集めた僕は、大急ぎで修士論文を書き始めた。

その論文データはもう僕のパソコンには残っていない。スカスカなので見直したいとも思わない。とにかく内容を引き延ばし引き延ばし、10ページぐらいで終わる内容を50ページぐらいに膨らませた。

世の中の役に立つ研究かと聞かれても、とてもそうとは言えない。

 

論文の提出期限は確か1月中旬だったと思う。

1月に入ってからほとんどを書いた。最後の3日は連日研究室に泊まり込んで書き続けた。

幸いだったのは、博士の先輩が自分の修士論文を僕に貸してくれたことだ。その先輩の修士論文をマネして書いた。参照できるものがあるだけでグンと書きやすくなる。

 

論文締め切りの1日前。僕は何とか夜に修士論文を書き終え、当時別の大学にいた先生にメールで送信した。先生には「一度目を通すので前日までに送るように」と言われていた。

(僕の先生は他の大学の教授職も掛け持ちしていて、当時は他の大学にいることの方が多かった)

「目を通す」というので「さらっと読み飛ばす」ぐらいだと思っていた。先生からの許可が下りれば晴れて論文提出だ。

 

僕はラボでずっと返事を待っていた。けれど、先生から返事が来ない。夜中を過ぎ、午前2時になっても返事が来ない。

午前2時を過ぎても、僕は焦りながら待った。ラボにはまだ同期の友人たちが残っていて、僕と同じように直前まで修士論文を書いていた。「先生から返事が来なかったらもう許可なしで出すしかない」と覚悟した。

 

午前3時か4時ごろだったと思う。先生からメールが来た。

「赤入れで論文を直しました。体裁を整える時間がなかったのでそっちでやってください」と書いてあった。

びっしりと修正が入った論文を見て、僕はびっくりした。僕が待っている間、先生は夜中じゅう僕の内容のない論文を修正してくれていたのだ。

そこまでやってくれるとは思っていなかった。

 

朝になって、論文を提出する。肩の荷が下りた非常にいい気分だった。

先生から電話がかかってきて、今後こうすれば、ああすれば、興味深い研究になるだろうな、みたいな話を軽くした。

大学院2年間、先生とはあまり深く話すことはなかった。やる気のない学生に対しては放置気味な先生だったけど、こちらが真剣にやっていればとてもいい先生だったに違いない。

 

論文提出して家に帰り、その日は爆睡した。