イギリス留学の思い出

20年以上前に経験したイギリス留学の思い出を取りとめもなく書く

なんとか大学院を出る

日本の大学院にいたときの話の続き。

中身の薄い修士論文を何とか提出し、僕はようやく留学に向けて本腰を入れられるようになった。

けれど、まだこれで終わりじゃない。論文を出した約一か月後に、修士論文発表というものがあった。ここでの発表が大学院を修了できるかどうかの最終審査なのだ。

 

発表は確か20分ぐらいだったと思う。15分ぐらい発表して、残りの5分ぐらいで審査する先生からの質疑応答がある。

発表自体は事前にしゃべることを用意しておけばいいのでそこまで難しくはない。問題は質疑応答だ。どんな難しいことを聞かれるか、その時になってみないと分からない。

 

実際、僕はこの質疑応答が大の苦手だった。聞かれたことをまず理解するのにとても時間がかかる。それから質問の答えを考えるのに時間がかかり、それを説明するのも下手くそだった。

僕は過去の質疑応答でよく質問の内容を勘違いし、とんでもないトンチンカンな受け答えをして「いやそうじゃなくて」と何度も何度も諭される経験をしていた。

 

実際、今でもそういうトンチンカンな受け答えをすることがよくある。そういう状況に陥ってしまうと完全にテンパってしまい、頭が真っ白になってまともな受け答えができなくなる。

 

真に頭のいい人間は相手の質問の意図を瞬時に把握し、最適な答えを相手に伝えることができる。

「賢さ」というのは、知識はもとより、コミュ力も要求されるのだ。

 

前回に書いた通り、僕の研究には内容がなかった。プレゼンのスライドを作ってみたら、スライドの枚数が10枚にも満たなかった。

修士のプレゼンといえばグラフや図を豊富に使い、何十枚にも膨らみがちなスライドを泣く泣く10数枚に抑えるが普通だ。

けれど僕の場合は逆だった。

1枚で説明できるグラフを何とか数枚に膨らませ、色をカラフルにし、ただの箇条書きのテキストを影付きの四角で囲ったり、矢印をいっぱい引っ張ったり、とにかく見かけをよくする工夫をした。

 

僕の所属する研究室は複数の先生がいて、そのうちの1人の先生は体育会系だった。僕はその先生にはついていなかったけど、そこにつく学生たちは連日会議室にこもり、プレゼンの練習を何時間にもわたって行っていた。なんでもプレゼンを丸暗記しているという。

彼らはすごい気合の入れようだった。僕は心底おののいた。

 

僕はと言えば、プレゼンの練習をしたのは1回きり、発表前日だけだった。聞いていた博士課程の先輩たちは「ま、いいんじゃないの」的な反応で参考にはならなかった。

僕の先生はあいかわらず別の大学にいたので、先生に発表を見せることはなかった。

 

発表当日。

審査をする教授が2人、あとは同じラボのメンバーがちらほら、それから順番待ちの次の発表者の関係者、こんな感じの観客だった。

 

ここで僕はまたしてもものすごい幸運をつかむ。

審査官のうちの1人が、ものすごく優しかった大学院試験の試験官の先生だったのだ。この先生は留学のための推薦状にサインしてくれた先生でもあった。

この先生については過去のブログにも書いた。

 

この先生は本当にいい先生(「甘い先生」という意味合い)で、質疑の際もそれはそれは優しかった。

もう一人の先生は厳しいことで有名な先生だった。その先生の質疑は厳しかったけど、質問は想定内のものだった。しっかり受け答えをしたつもりが、先生は何度聞いても僕の答えに納得しなかった。なぜ納得できないのか僕も理解できず、同じような答えを繰り返し、最後は時間切れみたいな形であいまいに終わった。

あとで博士課程の先輩が「お前ちゃんと答えてたのにな」と言ってくれた。

 

まあどんな形であれ、とにかく終わってしまえばそれでいいのだ。

僕の結果は合格だった。というか同期で不合格者は一人もいなかった。

 

こうして僕はまともに研究をすることなく、半ば逃げ去るように大学院を卒業したのだった。